さきほど、午前2時58分にまよが旅立ちました。
昨夜遅くデグー友さんとの電話を切った後にまよを抱き上げた瞬間から、『下ろしたくない』と強く思い。
明日まででも、明後日まででも、絶対にまよを離さない。
ずっと抱き続けると心に決め、ときどきまよを撫で、話しかけ、感謝の気持ちを口にしたり。
言葉はかけなくても、『私はまよを愛している』という気持ちをずっと胸にもちながら。
ときどき身じろぎしてまよが降りようとするたび、向きを変えて抱き直して。
12時を過ぎたところで、大地くんにお誕生日おめでとうの声をかけ。
トイレにいくのも、手を洗うのも、ずっとまよを抱いたまま。
2時半をすぎたとことまで時間を見ていたけれど、座ったままちょっとうとうとしていたようで。
ふと手のひらのフリースの上のまよが降りようと動くのを感じて目が覚めたのが2時50分。
フリースをよけて手のひらで直接抱いて少し撫でた後。
鳴き声をあげて少し手足をばたつかせた。
『その時が来たんだ』
デグー飼いの先輩から話を聞いていたからかもしれないけれど、もうはっきり分かった。
目で見ては分からないけれど、抱えたフリース越しにまよの体が小刻みに体が震えるのを手のひらに感じ。
そして、震えが止まった。
『まよ、旅立ったんだね』
悲しさより、温かい感謝の気持ちと愛おしさがあふれました。
まよと約束したから。
いつか必ずそっちに行くから、迎えに来てね、と。
私は、たぶん、もの凄く幸せなデグー飼いとして初めて迎えた子を見送れたと思います。
8年7ヶ月前にまよをお迎えした直後。
興奮が収まった後、この小さな子を7年といわれる寿命まで生涯責任を持って育てられるのかという強烈なプレッシャーをひしひしと感じたことがありました。
今までの間、小さな小さなデグーの幼少期、成人期、出産子育ての誕生の奇跡、病気やけがが増える老年期というものを間近に見てきて。
そして最後の晩年。
本当にまよは優しいできた子です。
不出来で頼りない、おまけにすぐ泣く私を気遣ってか、少しずつ、少しずつ、病気をしたり食べられなくなったりする様子を見せて
『おかぁさん、あたしもトシだから、ちゃんと覚悟しておくのよ』
と心の準備をさせてくれていた気がします。
なぜか、まだ異変のでる前の今週水曜日には
『今夜まよとるりを一緒に過ごさせなければ、もう2匹で眠る姿は見られないかも』
と、急遽バリアフリーに変更して、1夜だけ飼い主の望みは叶えられ、まよるり2匹で眠る姿を見ることができました。
足のケガだと思ったのが口腔内のただれからの出血だったと分かったとき。
もう助けてあげられないことが心のなかにすとんと落ちて納得した感じでした。
正直、まよを見送ることになると分かったけれど、どういう形のお別れになるか分からなくて。
最後までずっと見守って、特別な瞬間のお別れを過ごせばよいのか、今まで一緒に暮らした日々はかけがえがなく、いつかまた会う確信があったから、淡々と日常通りでいいのか。
時間がもうあまりないことは分かっていても、先は読めず、自分はどう行動するのだろうと不安な気持ちでいっぱいになり。
デグー飼いの大先輩に電話をしたときに
『それはデグーが決めてくれるから。見送ってほしい子は待ってるし、そっと旅立ちたい子はずっと見ててもいない時に逝ってしまうから。たぶん分かるはず』
と言ってくれてたのが印象に残り。
それでも『そうなのかな』という気持ちはあったけど。
昨日の午後、シリンジで食べさせようとしたとき、まよが
『おかぁさん、もういいの。たべたくないから』
と言ったのがはっきり聞こえた、気がした。
病院でまだまだ治療ができるかも、とまだどこかで思う私に言い聞かせるような、まよのプライドと尊厳に満ちた声。
それでも何か最後にしてあげたくて、病院で点滴を打ってもらい。
食べさせられれば回復の可能性はあるんだけれど、の獣医さんの言葉に、もう一度、ちょっとだけシリンジを用意した飼い主に。
『おかぁさん、もういいって言ったのに。諦め悪いんだから』
なんだか、まよに諭された気がした。
いつの間にか、おかぁさんより年上になってたんだね。
お婿さんの大地くんの誕生日を一緒に迎え、『おめでとう!』と言って。
初めて迎えた子が、どれだけ可愛がってもけがや病気でなくなる子も多い中、治療が功を奏して劇的な回復を何度も見せてくれて。
そして、飼い主の腕の中でちゃんと旅立ちを見送らせてくれた。
変な話ですが、まよと私が一心同体である、私のなかにいつもいるという揺るがない確信があるような。。そんな奇妙な感覚。
まよから抜けた魂が、そのまま私のなかにするりと入ってきたような。。
そのせいか悲しみはあるけれど、まよと一緒に精一杯の生を駆け抜けた、鮮やかな風が通り過ぎた余韻がある感じなのが不思議です。
まよ、まよたん。
名付けに困った飼い主に『きゅぴ』と鳴いてヒントをくれてつけた名前、マヨネーズのまよ。
あの時から、飼い主はまよの手のひらで転がされてたのかもしれません。
震災のときも、まよとるりがいてくれたおかげで、ひっきりなしに続く余震、断水、停電の中、比較的落ち着いていられました。
まよが来てくれたおかげで、たくさんの人と知り合いました。
デグーの飼育本には、大地とまよの子どもたちが誕生した、あの喜びに輝いた夏の写真が載っています。
ありがとう。
まよ、いつかまたあおうね